Friday, December 11, 2015

[短編小説] チャンス ― 別れの道


あれ?

ふと気が付いた。

こちらに向かって歩いて来る人がいる。

さっきまで気が付かなかった。

誰だろうか。

頭がツルツルだ。

前髪がおでこの上にちょこんと付いている。


待てよ。

以前、ある人から聞いたことがある。

あれは、もしかしたらチャンスさんなのではないだろうか。


ツルツル頭にちょこっとした前髪。

イギリス紳士の Mr. Chance こと、チャンスさんではないだろうか。




徐々に近づいてくる。

顔や体の輪郭もはっきりしてくる。

確信は持てないが、チャンスさんに違いない。


チャンスさんと出会えるなんてラッキーだ。

チャンスさんはしょっちゅう訪れてくれる人ではないからだ。

次に彼が来るのはいつなのか、それは誰にも分からない。


チャンスさんは時に思いもよらぬ幸運をもたらしてくれるという。

それは驚くほど素晴らしいことだったり、人生の大きな転機となる出来事だったりする。


せっかく出会えたチャンスさんだ。

捕まえておいた方が良いだろう。


かなり近づいてきた。

チャンスさんを捕まえるには・・




どうやら、彼の前髪をガシッと掴むしかないようだ。


でも、チャンスさんを捕まえたら、あとあと、色々と面倒くさいのではないか。

食事を与えたり、話し相手になってあげたり。

予期せぬトラブルだって起きるかもしれない。

それってかなり面倒くさい。


だったら、そのまま素通りさせた方がいいのかもしれない。

そうすれば面倒は何も起こらない。

現状を維持できる。


でも、捕まえておけば何かが起こるかもしれないんだ。

素晴らしいことが起こるのかも。

もちろん、何も起こらないのかもしれない。

その可能性の方が高いのだろう。

でも、何も起こらないなりに何かが起こるのかもしれない。

なんとも言えない。

考えても答えは出ないか。


チャンスさんを捕まえるには、

手を伸ばして前髪をガシッと掴むだけだ。

簡単だ。


でも、動くのって面倒だ。

身体を動かすのって面倒だ。

うん、色々と面倒だ。


素通りしてもらおうか。

そうだね。


いや、捕まえるべきだ

・・とも思う。

面倒くさいけど。


いや・・


ああ、

次があるか。

そうだよね。

そうだ。

うん、次でいいか。


いや、でも。

心のどこかでは気になっている。

本当にチャンスなのかも。

だったら捕まえたい。

でも面倒。

次・・

かな。

次・・

だな。


ああ、そうだ!

どっちにしても今はできないじゃん。

理由を思いついたよ。

良かったー。

うん、今ではなくて、次だ。

でも・・

本当に次なの?


いや、


でも、


いや、



あ、チャンスさんが横を通り過ぎちゃった。











まあ、今回は仕方がなかったんだ。

そう。

理由があった。

うん。

理由があった。







本当にそう?

本当にそうなの?

それで良いの?

まだ今ならチャンスさんを捕まえられるんじゃない?


早くしないと本当にチャンスさんが行っちゃうぜ。

これで良いのか。

本当にこれで良いのか。


できない理由を無理やり探して、それに納得していただけじゃないのか。

やるのが面倒くさいから。

動くのが面倒くさいから。


本当はできるんじゃないのか。


本当はやりたいんじゃないのか。


本当は捕まえたいんじゃないのか。



そうだ。

まだ捕まえられる。


チャンスを逃したって?


ふん、どうかな。


だって、まだ、すぐうしろにチャンスさんがいるんだぜ。


チャンスさんを捕まえるチャンスはまだあるぜ。




うしろを振り返る。


案の定、チャンスさんはまだ捕まえられる距離にいる。


手を伸ばす。



チャンスさんに触れる。



つるん。




あっ










掴む場所がない。


えっ



つるん。












えっ






チャンスさん!



チャンスさん・・



チャンスさんは気にせずに歩いて行く。





チャンスさんはどんどん歩いていく。


チャンスさんはどこまでも歩いていく。




彼は行ってしまった。


もう手は届かない。


だんだんと小さくなっていく。


結局、チャンスさんは去って行ってしまった。

こちらを振り返ることもなく。



いや・・

いや、大丈夫さ。

だって、まだチャンスはあるから。

チャンスさんはまた来るから。

うん。

きっと来る。

それを待てばいいんだ。

そう、それだけだ。


今回のは・・ 多分チャンスじゃなかったんだ。

そうだ。

うん、チャンスじゃなかった。

だから仕方がなかった。

次がある。


次が。


次が


次が
















あれからどれくらい経ったのだろうか。

50年? 60年?

チャンスさんが再び僕の前に現れることはなかった。


時々考える。

あの時、チャンスさんを捕まえておいたら、どうなっていたのだろうか。

僕の人生は何か変わっていたのだろうか。


それは分からない。

分からないし、考えても仕方のないことだ。


でも、きっと・・



でも、きっと・・




何かが変わっていたような気がする。





考えても仕方のないことだけれども・・






(了)






Sunday, December 6, 2015

[Letter] To me 10 years ago




Dear myself,

You must be surprised at reading this letter. Because I am you in 10 years from now your time. I know you are wondering what this letter is and kinda afraid of reading it because you do not know what are written herein. But you do not need to worry about it. Please take it easy and relax. You are thinking why I can say such a thing, knowing you are in front of this curious letter? It is because that I also experienced the same thing 10 years ago. Yes, you know, it is you that I was. Okay again, just take it easy and relax to read this letter without being surprised.

You will be you who is you that you are currently imagining. So please keep it going toward your future. Do what you can do with 100% energy for everything. Believe yourself. Believe your future. Don't mind even if somebody laugh at you. Because I am you who will be writing this.

Best Regards,
You in 10 years


Tuesday, November 24, 2015

言葉。人生を変える言葉たち。



 とあるブログで 「Quotes that changed my life」 (私の人生を変えた言葉たち)という記事を見つけた。心に響く言葉がたくさんあったので、日本語訳を添えて紹介したいと思う。かなり意訳しているけど、雰囲気だけでも感じて頂けたら幸いだ。


The trouble is, you think you have time. –Buddha

問題は、あなたが自分には時間があると考えていることだ。- ブッダ


The meaning of life is to find your gift. The purpose of life is to give it away. –William Shakespeare

人生の意味はあなたの才能を見つけることであり、人生の目的はそれを分け与えることだ。 - ウィリアム・シェイクスピア


The secret of getting ahead is getting started. –Mark Twain

成功するための秘訣は、それを始めることである。 - マーク・トウェイン


The doors will be opened to those who are bold enough to knock. –Tony Gaskins

ノックするに十分足る勇気を持った人間に扉は開く。 - トニー・ガスキンス


Big things often have small beginnings. –Unknown

大きなことはしばしば小さなことから始まる。 - 作者不明


Be not simply good – be good for something. –Henry David Thoreau

単に良いだけにはなるな。何かのために良くなれ。- ヘンリー・デイビッド・ソロー


Every morning you have two choices; continue to sleep with your dreams, or wake up and chase them. –Unknown

毎朝あなたはふたつの選択ができる。夢を持って寝続けるか、起き上がってそれを追い求めるかだ。 - 作者不明


Experience is the name we give to our mistakes. –Oscar Wilde

経験とは我々が自らの失敗に与える名前のことだ。 - オスカー・ワイルド


Twenty years from now you will be more disappointed by the things that you didn’t do than by the ones you did do, so throw off the bowlines, sail away from safe harbor, catch the trade winds in your sails. Explore, Dream, Discover. –Mark Twain

今から20年後にあなたが後悔することは、あなたがやったことではなく、あなたがやらなかったことだ。もやいを解き放ち、安全な港から漕ぎ出して、あなたの帆の中に貿易風を掴み取れ。探究。夢。発見。 - マーク・トウェイン


To live is the rarest thing in the world. Most people exist, that is all. –Oscar Wilde

世界において、生きるということは稀なことである。ほとんどの人は存在しているだけだ。 - オスカー・ワイルド


You drown not by falling into a river, but by staying submerged in it. –Paulo Coelho

あなたが溺れるのは、川に落ちたからではなく、川の底に居続けているからだ。 - パウロ・ コエーリョ


An unexamined life is not worth living. –Socrates

誰からも吟味されない人生ならば生きる価値はない。 - ソクラテス


Whether you think you can or you think you can’t, you’re right. –Henry Ford

あなたができると考えようとも、できないと考えようとも、どちらにしてもあなたは正しいのだ。 - ヘンリー・フォード


Build your own dreams, or someone else will hire you to build theirs. –Farrah Gray

自分自身の夢を作れ。さもなければ、他の誰かがその誰かの夢を作るためにあなたを雇うことになる。 -  ファラ・グレイ


It’s not the years in your life that count. It’s the life in your years. –Abraham Lincoln

数えるものは、あなたの人生の中での年数ではない。あなたの年数の中での人生だ。 - アブラハム・リンカーン


There is only one thing that makes a dream impossible to achieve: the fear of failure. –Paulo Coelho

夢を実現することを不可能にするものはただひとつだけ。失敗を恐れることだ。 - パウロ・コエーリョ


People often say that motivation doesn’t last. Well, neither does bathing. That’s why we recommend it daily. –Zig Ziglar

人々はしばしばモチベーションが持続しないと言う。なるほど、入浴も同じではないか。だから毎日するように推められているのだ。 - ジグ・ジグラー

= = =
転載元ブログ: here & air
http://www.hereandair.com/quotes-that-changed-my-life
= = =


最後に僕が好きな言葉のひとつを付け足そうと思う。

It's never tool late to start something.

何かを始めるのに遅すぎるということはない。


 画家のルソーは49歳で税関吏から脱サラをし、セザンヌが初個展を開いたのは56歳だそうだ。 カーネル・サンダースは65歳からケンタッキーを始めたとか。ちょっと前に行ったクラブイベントでは77歳からDJを始めた女性DJがプレイしていた。

 ここに掲載した言葉や名言をどう捉えるかは人それぞれだと思う。前向きに捉える人もいれば、ただの理想論だと言って笑う人もいるだろう。それはそれで良いのだ。


 1回きりの人生。僕は自分の思うように生きたい。自分の人生を決めるのは他の誰でもなく、自分自身なのだ。

 そしてあなたの人生を決めるのも、あなた自身だ。他の誰でもなく。

 これらの言葉が誰かの役に立つことを願って。




Thursday, November 19, 2015

電車の中でラブホの匂い。




電車に乗っていて、ふと、ラブホテルのイメージが湧いてくることがある。
なぜそういうことが起こるのか。
自分はそういう場所を欲しているのだろうか?
麗しき女性を見て無意識に興奮してしまっているのだろうか?

何度か繰り返すうちに(と言っても何回もあるわけではないけど)原因が分かってきたように思う。
何かの匂いを嗅いだ時にそういうことが起こるのだ。

その匂いが何なのかは分からない。
誰かの香水の匂いかもしれない。
誰かのシャンプーの匂いかもしれない。
もしくは別の匂いかもしれない。
具体的に挙げることができないので、匂いはその都度違っているのだと思う。

もし一緒にホテルに入った相手と同じ匂いだったら、その人のことを思い出すだろう。
しかし、イメージされるのはラブホテルなのだ。
恐らくそこで嗅いだ何か別の匂いが起因しているのだ。
シャンプーやコンディショナーの匂いだろうか。
ボディーソープの匂いだろうか。
入浴剤の匂いだろうか。

ラブホテルが思い浮かぶのは、えてして良い匂いを嗅いだ時だ。

人間が一番記憶に残るのは匂いなのだという。
そしてまた、人間は1兆種類の匂いを嗅ぎ分けられるという。

それって凄いことだ。

どこかで入ったラブホテル。どこかで嗅いだ何かの匂い。
自分では思い出せなくても、脳はしっかりと記憶しているのだ。

電車の中は他人との距離が近い。
だから色々な匂いが漂っている。
その中に、いつか嗅いだ匂いと同じ匂いを見つけた時、ラブホテルのイメージがフラッシュバックされるのだろう。

ラブホテルに限らず。
どこかで嗅いだ匂い、何かの匂い。
誰かと嗅いだ匂い、誰かの匂い。
何十年経っても忘れない匂いだってある。

さて、何が書きたかったんだっけ。

そう、恋人と過ごす夜はとても素敵なのだ。

クリスマスのイルミネーションやクリスマスソングが街の中に現れ始めたね。

今夜は良い匂いに包まれて眠りたい。




Sunday, October 11, 2015

[演技] tori studio で教わっていることメモ 0002



 はいはーい、みなさんお元気?火星の天然水を飲んだらどんな味がするのかを考えている塩沼哲ですよ。鉄の味でしょうか。

 さて。

 ご存知の方もいらっしゃると思いますが、僕は今、tori studio (トリスタジオ) という場所で演技を学んでいます。通っているのは、週2回 (1日4時間ずつ) のベーシッククラスです。
 今回はそこで今時点までに教わっている内容を、簡単に (自分の復習も兼ねて) 書いてみようと思います。
 個人的な見解や認識の違いがあるかもしれませんので、もし間違いや修正すべき点がありましたらご指摘して下さると助かります。

 この記事が tori studio の見学や入学を考えている方の参考になれば幸いです。


1. tori studio が教える 「演技」 とは

  • 「与えられた想像上の世界で真実に行動する能力」 のこと
  • 与えられた想像上の世界: 脚本、台本等
  • その世界で真実に行動するためには何をする必要があるか


2. リラクゼーション (Relaxation)
  • 心、身体、マインドを開放する
  • エネルギーを高める
  • 俳優としての準備と確認


3. センソリー (Sensory)
  • 想像上の場所や人物、状態などをリアルに体験する
  • 頭で考える (イマジネーション) のではなく、五感をフルに使う
  • 感じていることを音にして出す


4. レペテション (Repetition)
  • 相手の言葉を繰り返す訓練
  • 言葉の制限の中でのコミュニケーション
  • 頭を働かせない、衝動でやり取りする
  • 言葉の意味をもたない衝動のキャッチボール
  • 3つのC:: Contact, Connect、Communicate
  • その瞬間にのみ生きる
  • 相手に興味を持つ
  • 全て相手次第
  • 100%確かなものを言う
  • 個人的に聞く (言われているのは自分である)
  • 言葉は変わるもの (変えるものではない)
  • 言葉が変わる4つの要素: ① Behavior (相手の様子・ふるまい)、② Point of View (自分が感じるもの)、③ Honest Answer (正直な答え)、④ Pile Up (意味を組み上げる)


5. アクティビティー (Activity)
  • レペテションをしながら行動をする訓練
  • 行動の内容(身体的に100%の集中を要するもの)
  • 目的
  • 緊急性
  • 完璧性の基準
  • それらを具体的にしておく
  • やることを確認したら、全て捨てて、ただ行動する
  • ファーストコンタクトに命をかける


6. ドア・パーソン (Door Person)
  • アクティビティーの相手
  • 目的 (何を得にきたのか)
  • 緊急性
  • 具体的に
  • ファーストコンタクト / 相手を探検する


7. シーン (Scene)
  • 台本分析 (背景、状況、ビート、目的、障害、アクション、等)
  • 台詞はイメージを付けずフラットに覚える
  • 台詞の内容は同じでも、言い方 (抑揚や音) はその時の状況で毎回変わってくる
  • まずはセリフを頭に入れる (震度8の地震が来てもスラスラ言えるように)
  • 台詞が入っていないと頭を使ってしまうので、そこからは何も生まれない
  • 準備の時に何を選択するか
  • プランは危険、プッシュをしない (嘘になってしまうので)
  • 目的に向かう
  • 行動する
  • デスティネーション(これがあるからそこに存在できる)
  • 衝動をピックアップして、きっかけを待つ
  • 今この瞬間のみを新鮮に捉える (未来を知っていてはいけない)
  • その台詞で全てを終わらせる (常に求め続ける)
  • 4th Wall (第四の壁)
  • Moment Before (そのシーンの直前に何かをすることによって状態を高める)
  • Shock Reaction (予期せぬことに対する反応。3つくらいを確認しながら意味を積み上げていく)
  • 台本分析におけるアクションのヒント: ①具体的な関連性 (人、場所、物、出来事) ②状況 ③性格 ④サブテキスト (別の言葉で言い換えたら?) ⑤相手に何をさせたいか
  • パーソナライズ (いったん自分のものに置き換えてみて、心で理解する)


8. 感情準備 (Preparation) をしたアクティビティー
  • 内容はアクティビティーに準じるが、感情を準備してから行う
  • 最大限の感情が準備できたら、全てを捨てて、ただ行動する
  • 具体的にするのは捨てるため。捨ててもあるから大丈夫
  • 感情は作るものではない、生まれてくるもの、溢れだすもの
  • 大きな感情が生まれる (自分にとっての) ピンポイント的なものを探しておく


9. LAC (Life Alternating Circumstance)
  • 自分の人生を劇的に変える出来事
  • 感情準備をしたドア・パーソンとしての訓練
  • 直前に起きた出来事
  • 何を得にきたのか


10. その他
  • As if : まるで~のように
  • Physical Adjustment : 体の状態から内面を作る
  • Action : セリフの下の行動
  • 1~10のカウントゲーム : 1回で終わらせること、諦めないこと、信じること
  • 本 : お題に沿って前の人が考えた本の内容を繋いでいく
  • 即興 : 筋書きのない即興の演技。信じる、目的に向かう、人生がかかっている、真剣に


 思いつくままにぶわーっと書きましたが、このあたりまでが今現在までに教わってきたものです。
 クラスメートの練習内容を見ていると、感情準備がある程度できるようになった後に、再びシーン (感情準備を伴ったもの) を行うみたいです。それ以降はまだ分かりませんが、キャラクター作りや感情の抑え方、そして更にその先が待っているのだと思います。

 人それぞれがそれぞれの演技に対する考え方を持っているでしょうし、演技の訓練方法に王道や正解は無いと思いますので、tori stuido で教えているこういった方法が合う人もいれば、合わない人もいるのだと思います。tori studio 自体を肯定的に考えている人もいれば、否定的に考えている人もいることでしょう。それはそれで構わないと思います。自分に合った方法を探して、自分が信じる演技の道を進むのがやはり一番良いのです。でないと自分を否定してしまいますもんね。
 
 もし、これを読んで tori studio に興味を持たれたという人がいらっしゃいましたら、いつでもご連絡ください。見学は随時できるようですので、ご希望であれば見学の橋渡しを致します。もちろん tori studio に直接連絡を取って頂いても構いません。

 魂を揺さぶる演技。高められた現実。内面。心。感情。葛藤。そういった人間の真髄のようなものに触れた時、人々は大きな畏怖や感動を感じます。それを体験し、また会得できる場所。そのひとつが tori studio だと僕は思うのです。

 一緒に演技の勉強ができることを楽しみにしています。そして舞台や映画等で共演できることも。

 それではまたどこかで。


 参考リンク : tori studio



Monday, October 5, 2015

【小説】 バンクーバー留学物語 - 0004




[前回 0003 はこちら]


 目が覚める。

 四角い部屋の中。四角いベッドの上。クリーム色の天井。見慣れない景色。

 ・・・・・。

 ・・・・・?

 ああ・・

 そうだ。

 ここはバンクーバーなんだ。

 寝ている間にたくさんの夢を見たような気がする。どんな夢だったのかは思い出せないけど、いくつもの事が同時に起きて頭がグルグルしている感覚だった。ひとつの長い夢だったのかもしれない。何個かの夢を重ねて見たのかもしれない。色々な場面、色々な人物が次々と現れては切り替わっていった。高熱にうなされている時や、大きなイベントで脳が興奮している時に見るような、濃厚で圧縮されたグルグルした感じの夢。そんな夢だった。

 ベッドから出て、うっすらと明りの洩れる薄緑色のカーテンを開ける。道を挟んだ向かい側の建物や家が見える。その形は、ああ、なるほど、日本のものとは違って西洋的だね。まあ、そりゃそうだよなって思うけど、日本にある西洋的な家ともまた違う感じがする。もっと、そう、何と言うか、景色になじんでいる感じ。
 眼下には通りを歩いている人々の姿が見える。この部屋は2階にあるのか、と改めて実感する。道行く人たちは色とりどりのコートを着ている。寒そうだな。
 上を見上げる。綺麗な青空。その青い色の中に浮かぶ少しばかりの白い雲。
 窓を開けてみる。ひんやりとした空気が入ってくる。やっぱり寒い。

 今日はリチャードとジョニーがバンクーバー市内を案内してくれるって言っていた。楽しみだ。
 初めて訪れる街。初めて出会う人々。美しい朝。美しい街。語学留学。カナダ。バンクーバー。これからの3週間。本当に本当にワクワクする。

 さてと、それではまず朝食を食べに行こう。

 キッチンに行く。良い匂いがする。リチャードとジョニーが既にテーブルに座っている。ホストマザーのジェニーは流し台の近くに立ってソーセージを焼いている。
 みんなに「おはよう」を言って僕も椅子に座る。ん?あれ?そう言えば、なんでジョニーがこんな早い時間にいるんだろう。彼はこの家に泊まったのか?
 ファーストフードでアルバイトをしているという長女のエミリーは今朝も姿が見えない。家に帰って来なかったのだろうか。どういう感じの子なのだろう。気になるよね。てか、ホームステイ先の家に20代の女性が住んでいるなんて、ちょっとドキドキするじゃんね。これって、あれでしょ?出会った当初は留学生とそのホストファミリーのひとりとして普通に接していたふたりであったが、ひとつ屋根の下、一緒に食事をしたり遊びに行ったりしているうちに相手のことが少しずつ気になっていることに気付く。いつしかふたりはお互いを意識し合うようになり・・ そして・・ そして・・ っていう、あれだ。むふふ。
 でもまあ、そういのって、あれだよね。あれあれうるさいかもだけど、妄想だ。実際は小説とかドラマの中でしか起こり得ないんだろうね。
 あ、そうそう、昨日も言ったような気がするけど、僕は他に気になっている女性がいる。カナダ人でも日本人でもない。フィリピンに住んでいるフィリピン人の女性。実際にまだ会ったことはないんだけれども、今すぐにでも会いに行きたい女性。でもなかなかフィリピンには行けないよなーって思う。今僕はカナダにいるし、なによりも英語を勉強したいからね。なーんていう言い訳。会いに行かないことに対する言い訳。できるかもしれないのに、しないことに対する言い訳。会いに行き「たい」では、いつまで経っても会いに行けないか。ああ、彼女は今いったい何をしているのだろう。

 料理が運ばれてくる。ソーセージにハムに目玉焼き。コーンポタージュスープ。そして、平たい皿に乗ったごはん。色とりどりのサラダもある。美味しそうだ。コーヒーの芳ばしい香りもする。
 ジェーンによると、エミリーは一旦家に帰ってきたんだけど、また早朝からバイトに行ってしまったとのこと。でも今夜は会えるみたい。じゃあ、それまで楽しみにしていよう。

 料理はどれも素晴らしく美味しかった。リチャードとジョニーの喋り方は相変わらずゴニョゴニョしていて聞き取りにくいけど、昨日会ったばっかりの時に比べたら、なんとなく聞き取れているようにも感じる。少しゆっくり目に喋ってくれているのかもしれないけど、昨夜バーで色々と話をして、こういう話し方に慣れてきたのかもしれない。そう思いたい。

 食事を終えて、いったん自分の部屋に戻る。出かける準備をして、30分後にバンクーバー市内観光に出発だ。いったい彼らはバンクーバーのどの辺りを案内してくれるのだろう。シーバスとかっていう船のバスにも乗るらしい。どんな感じなのか想像もつかないけれど、楽しそうだ。とにかく全てが初体験。

 30分後。

 キッチンから続くテラスを通って外に出る。この家は通りに面しているけど、こちら側は裏側にあたる。階段を下りた先は「コ」の字型に家が並んだ20メートル四方ほどのスペースになっている。そのまま表側の通りには出ずに裏側の道を進む。
 まずは、ここウエスト・バンクーバーの海の方に行ってみようということになった。海がすぐ近にあるらしいのだ。

 紅葉がまだかなり残っている。赤、オレンジ、黄色。ひんやりとした空気。青空。街並み。とても綺麗な場所だ。

 10分くらい歩いただろうか。公園が見えてきて、その先にキラキラと輝く水面が見える。海だ。公園の先はちょっとした砂浜になっているみたい。その砂浜沿いに遊歩道があって、歩いている人や犬の散歩をしている人が見える。

 登りたての太陽の光を左手に浴びながら砂浜に向かって歩く。海が近付いてくる。太陽が左側にあるってことは、こっちの側が、、

 ぅおっと!


(つづく)


物語は事実にもとづいていますが、登場人物名・団体名は仮称です




Friday, July 31, 2015

want to make people happy


I found this picture on facebook. I don't think I'm a person who knows the sadness. But this picture gives me a relief and also courage. Thank you for your nice word, Robin. I will be an actor with compassionate mind like you.

Wednesday, July 29, 2015

新国立競技場をデザインする - 卵ドーム型国立競技場




 はいはーい、みなさんお元気?
 白紙に戻ってしまった新国立競技場のキールアーチを地面の下で支えたかった塩沼哲ですよ。

 東京オリンピックまで、あと5年ですね。もし5年後にこの記事を読んだとしたら何を想うのでしょう。

 さて。新しい国立競技場。

 先のザハ・アディド氏デザインはコストがかかり過ぎるということでしたので、なるべくコストのかからない新しいデザインを考えてみました。
 トップに載せてある画像をご覧のように、できるだけシンプルなデザインにしてあります。
 ザハ氏のデザインが持つキールアーチ構造のように地中でアーチを繋ぐ(引っ張る)必要はありません。競技エリアとそれを取り巻く座席を建設したら、その上に卵の殻をかぶせるだけの非常にシンプルな構造です。
 卵の殻が持っている球面構造の強さを利用していますので、キールアーチ構造のように大がかりな基礎や補強は不要です。力をスムースに伝え、また効率よく分散させますので、台風や地震等で破壊される心配もありません。卵が中にいる赤ちゃんを守ってくれるように、この卵ドーム型国立競技場は、中でプレイする選手や応援している観客たちを守ってくれるのです。
 それだけではありません。この競技場はまた、日本国民としての誇りや尊厳をも守ってくれるのです。

 2020年の東京オリンピック開催に向かって、こういったスタジアムや施設の建設が増えていくのでしょう。そして他にも色々と新しい雇用が生まれていくのだと思います。そして日本経済は活気を取り戻す。
 日本の不景気はどん底の状態を過ぎました。日本経済はこれから良くなっていきます。経済だけでなく、技術の進歩も一気に飛躍するのだと思います。もしかしたら第2次文明開化のようなものが訪れるのかもしれません。
 輝かしい未来がきっと訪れます。そういうのを想像するのは楽しいです。

 これは妄想でしょうか。笑いたい人は笑うと良いのです。

 原発再稼働、集団的自衛権、特定秘密保護法、憲法改正、、、、今現在、日本がどこへ向かっているのかは分かりませんが、否定的で後ろ向きな話題に埋もれて不安な毎日を過ごすのではなく、東京オリンピックのように前向きな話題に積極的に関わりながら、出来る限りポジティブに生きていきたいと思うのです。

 人々の想いが未来を作ります。良い未来も、悪い未来も。そして僕は良い未来を想像します。輝かしい未来を。

 卵の殻を破って新しい命が顔を出すように、この新国立競技場の殻を破って新しい日本が顔を出す。この卵ドーム型国立競技場はそういう想いが込められたデザインなのです。

 ちなみに、殻が破れた場合、補修は新しい卵の殻をかぶせ換えるだけなので、維持費も安くて済みます。



Friday, July 24, 2015

見てはいけない - 心霊ドキュメント





はいはーい、みなさんお元気?

さて。

世の中には見てはいけないものがあります。

そういうものは決して見てはいけません。


「見てはいけない」と言われた人はラッキーです。

だって、見なくて済むのですから。

もう一度言います。

「見てはいけない」と言われた人はラッキーです。

だって、見なくて済むのですから。


一方で、「見てはいけない」と言われなかった人はどうでしょうか。


・・・僕のように。



もしかしたら気付かなかったのかもしれません。

いや、気付くべきではなかった。


しかし、気付いてしまった。


それは、とある書類でした。

その書類を始めて見た時に、何かゾクゾクするものを感じたのを覚えています。

それが何なのかは分かりませんでした。


これがその書類です。


ただの書類でした。

ただの文字の羅列でした。


しかし、この書類を読んでいる時、誰かに見られているような、そんな感じがしました。

3分の2 ほど読んだ時に気付いたのです。


一応、もう一度書いておきます。

「見てはいけない」と言われた人はラッキーです。

だって、見なくて済むのですから。


気付いたというよりは、気付いてしまった、という表現の方が良いのかもしれません。


そう、気付いてしまったのです。

その書類に多数の顔が貼りついているということを。


余りの恐ろしさに背筋が凍りつきました。

血の気が引くという状態がどういうものかお分かりでしょうか。

言葉を失う・・・ 絶句する、という状態がどういうものかお分かりでしょうか。


そこには多数の顔がありました。

ひとつやふたつではありませんでした。


下にある画像の赤丸でくくったものがそれです。


最後にもう一度だけ書きます。

「見てはいけない」と言われた人はラッキーです。

だって、見なくて済むのですから。




もしかしたら分かりずらいかもしれません。

なので、横向きにして拡大してみます。





















「見てはいけない」と言われた人はラッキーです。

だって、見なくて済むのですから。



それでも見てしまったあなた。

素敵です。

その好奇心を大切にして下さい。




Friday, July 10, 2015

Essay - July 8, 2015


I would like to write something as it is just I'm feeling. At this moment, I'm not sure what will be written. To write as I'm feeling is interesting for me. I look forward to reading this when it finished.

Okay, well.. what is the first one I'm feeling now? I'm on a train which is a little crowded but not so much. Recently I'm taking trains in various time, not in regular time, to go to work. I realized I can see many interesting things every morning if I'm in such a way. Taking a same train everyday must be easy and efficient for many people, I think. But I found it is a little bit boring to me, but taking different train in each morning gives me many chances to see/hear various things in which I may be going to be interested. Sometimes I can see an incident, sometimes I can see a person/people, sometimes I can hear music, and sometimes.. Well.. so, what I want to say now is I'm excited every morning thinking what would happen today.

By the way, I was in the morning when I was writing this essay, until the last sentence. But now I'm in the evening of the same day.

And now, then, I'm in the morning of next day. I'm on a train which is different from the one on yesterday. Well.. so, what I want to say is.. again, I'm excited.. Ahh. What I do want to say is that one day has passed so quickly. Every moment is precious and there is no time to waste .

To tell you the truth, two days passed already since I started writing this essay.

Time flies, how fast!

Thank you.





Monday, July 6, 2015

チャンス。面倒くさいのその先に。




 はいはーい、みなさん、お元気?

 古代ギリシャ文明に思いを馳せる塩沼 哲ですよ。ギリシャはこれからどうなっていくのでしょうか。長い期間続くギリシャという国家が崩壊するようなことだけはあって欲しくないと思います。

 さて。今回書こうと思っているのは、チャンスについて。

 どこかでチャンスを見つけたとする。でもそれって大概が面倒くさい。どこかへ行く。誰かに会う。何かに参加する。何かを始める。 ・・色々と面倒くさい。大概が面倒くさいというより、全てが面倒くさい。
 「これはチャンスだ!」と感じたとしても、実際にそれを行う時には、「あー面倒くさい」と思ってしまう。やろうかやるまいか、行こうか行くまいか、心の葛藤が生まれる。で、「まあいいや。今回はやめた」となる。
 結果的に、チャンスだ!と感じたチャンスを逃してしまう。

 チャンスを掴むには何かしらの面倒くささや、時には困難を乗り越えないといけない。行動しないといけない。そうでないと、いつまでたってもチャンスを掴めない。

 ただ、チャンスを掴んだからといって、それが必ずしも成功や幸せに繋がるとは限らない。というか、ほとんどのチャンスは何事もなく終わるのだろう。
 でも実際はそれが後々の成功に繋がっているのかもしれない。

 チャンスは一度や二度では実を結ばない。一度や二度では成功や幸せに繋がらない。でも成功や幸せはチャンスの先にある。そのチャンスを得るためには行動しないといけない。行動しなければ、一度や二度のチャンスすら掴めない。

 でも、行動は面倒くさい。だから、まあ、いいや。今度でいいや、となってしまう。それだと何も始まらない。何も変わらない。多分ずっと今のまんま。

 色々と面倒くさいけどさ。何かを成し遂げたいと思ったら、やらなきゃいけないんだ。

 
 今思いを馳せているのは、そんな事。

 あとは、古代ギリシャ文明。




 

Sunday, June 28, 2015

【短編小説】 ブリッジ ― 20年前の友達以上恋人未満




 だんだんと空が明るくなってくる。

 この時間に走るのは気持ちが良い。街を歩いている人はほとんどいない。車もほとんど走っていない。

 もう少しで藤塚橋だ。心臓の鼓動が早まる。



 今朝は10キロ走ることに決めた。走る場所や方向は毎回変えることにしている。今日は国道4号線を北上してみよう。片道5キロでどこまで行けるだろうか。そう考えながら走り始めた。

 トランス・ミュージックがイヤホンから聞こえてくる。ビートを刻む力強いパート。静けさと共に美しいメロディーを奏でるブレイク。その繰り返しが陶酔感や恍惚感をいざなう。

 NIKEのジョギング・アプリが定期報告を告げる。3.5キロでここまで来れた。ということは・・・。

 ある考えが浮かぶ。久しぶりに行ってみてもいいのかもしれない。久しぶりというレベルではないのかもしれないけれど。何年ぶりだろうか・・・ おそらく20年ぶりだ。

 心を決める。よし、行ってみよう。藤塚橋の先へ。あの場所へ。



 国道沿いを北に向かって走り続ける。ひんやりとした空気が気持ち良い。

 前方に春日部中央病院が見えてくる。藤塚橋はもうすぐだ。空の明るさが少しずつ増してくる。曇っているため、太陽は見えない。今にも雨が降りだしそうだ。

 病院近くの交差点で国道を右に折れると、すぐに藤塚橋が見えてくる。その橋を渡ってしばらく行ったところに彼女の家がある。いや、正確には、あった。

 もう彼女はそこには住んでいないのだろう。年齢は僕のひとつ下だった。結婚して、どこか別の街で暮らしているに違いない。彼女の両親はどうだろうか。まだそこに住んでいるのかもしれない。何回か顔を合わせたことがある。でも僕のことを覚えてはいないだろう。もしかしたら両親も別の街に引っ越しているのかもしれない。それならそれで構わない。

 20年前に何度も訪れた場所。今はどうなっているのだろうか。何も変わらずに残っているのだろうか。なんとなくそれを確かめたくなった。



 彼女は同じアルバイト先で働いていた。 僕が大学生の時だ。友達だった。とても仲の良い友達だった。でも、実際はどうだったのか・・・。

 彼女が僕のことをどういうふうに考えていたのかはわからない。今覚えているのは、僕と二人きりでいる時、彼女はいつも僕の手を握っていたということ。水滴で曇った窓ガラスの上に、彼女が指で相合い傘を書いていたということ。その中に彼女の名前と僕の名前が書かかれていたということ。その名前を読みながら僕に向かって嬉しそうに微笑んでいたこと。いつも彼女が僕のそばにいたということ。

 とはいえ、僕は勘違いが多いのだ。だから、彼女に関してもそうだったのかもしれない。でも、彼女はきっとそうなんだろうなって、何かそういう確信めいたものがあった。

 僕のほうは彼女のことをどう思っていたのだろうか。彼女のことが気になっていたことは確かだ。好きだったのかもしれない。そうでなかったのかもしれない。よくわからない。優柔不断ではっきりしない、あの頃の自分。嫌な自分。情けない自分。

 優柔不断ではっきりしない・・・ か。今も変わっていないじゃんね。



 6月の早朝。空気が澄んでいて、昼間とは違った匂いがする。草木の匂い。

 交差点で国道を右に折れ、春日部中央病院を左手に見ながら走る。すぐに藤塚橋が見えてくる。



 彼女は自転車でバイト先に来ていた。時々電車で来ることもあった。僕は知り合いから3万円で譲ってもらった自動車、おんぼろのスターレットでバイト先に通っていた。

 彼女が電車で来ている時は、だいたい僕が彼女を家まで送り届けていた。帰り際、車のエンジンがかからずに、二人であたふたしたこともあった。仕方がないので車の中で長いあいだ語り合ったことも何度かあった。

 知らない人が見たら、恋人同士に見えたかもしれない。でも、僕たちが付き合うことはなかった。最後まで友達のままだった。自分の気持ちも、彼女の気持ちも最後までわからずじまいだった。携帯電話の機能が通話と電話帳だけだったあの時代。いや、携帯電話よりもポケベルの方が主流だったあの時代、僕たちが再び連絡を取り合うことはなかった。

 ただ、その後も、僕は彼女のことが心のどこかで気になっていた。藤塚橋の近くを通るたびに、彼女がどこかにいるのではないかと探していた。



 彼女に偶然出会ったのは、それから10年が経った後だった。僕は車を運転していた。信号で止まった時に、彼女が横断歩道の近くに立っているのが見えた。すぐに彼女だと分かった。

 僕は車の中から彼女に声を掛けた。その時に交わした言葉はよく覚えていない。車が走り出す直前だったので、きっと 「久しぶり」 「元気だった?」「またすぐに会えるよね」「じゃあね」みたいな感じだったと思う。藤塚橋は僕の家から車で15分程度のところだし、よく近くを通っていたので、実際にまたすぐ会えるだろうと思っていた。



 結局、彼女に再会することはなかった。あれからまた10年の歳月が流れてしまっていた。

 もう二度と彼女に会うことはないのだろう。今ではそう思っている。それなのに、藤塚橋の近くを通るたびに、いまだに彼女の姿を探してしまう。



 ひんやりとした空気の中。走りながらぼんやりと考える。彼女の家の近くまで行ったら何かが変わるのではないか。彼女はもうここにはいない。藤塚橋の近くに来ると感じる彼女の存在、彼女の面影、その全てが幻影なのだ。そう確信できるのではないか。

 本当はわかっていたのだと思う。いつかはそうしないといけないということを。でも、僕は逃げていた。彼女の存在を心の中から消してしまうのが怖かったのだ。

 行こう。それで、きっと何かが変わる。



 藤塚橋に差し掛かる。20年前に何度も車で通った橋。彼女と一緒に通った橋。先程から霧雨が降ってきている。

 橋を渡り終え、しばらく道なりに走る。イヤホンから聞こえてくるトランス・ミュージックが相変わらず激しいビートを刻んでいる。



 左手にドラッグストアのある交差点が見えてくる。唐突に昔の記憶がよみがえる。この交差点を左に曲がったのではなかったか。確信はない。しかし、シャッターの閉まったこのドラッグストアの景色を20年前に何度も見ていたような気がする。

 この胸が締め付けられる感覚は何だろう。期待や不安ではない。恐怖に近い感覚だ。

 交差点を左に曲がる。そして直感的に、すぐ先の路地を右に曲がる。何となくこの道だと思った。



 しばらく走ると公園が見えてくる。この公園は記憶にある。懐かしさが込み上げてくる。彼女の家があったのは、この通り沿い、もしくはもう一本左側の通りだったように思う。

 辺りはすっかり明るくなっている。雨が少しずつ強くなってきた。人の通りはない。静かな場所だ。走りながら、家の表札を一個一個確認していく。彼女の家があったのはこの辺りだったように思う。

 しばらく走ってみる。それらしき家はないようだ。結局、突き当たりの道まで来てしまった。今走ってきた通りではなかったのかもしれない。でもこの突き当りの道は見覚えがある。確かにこの周辺なのだ。

 ぐるっとUターンをして、もう一本左側の通りに入る。この通りだったろうか。そうかもしれない。そうでないかもしれない。



 しばらく走ってみる。

 彼女の笑顔を思い出す。

 この通りではないような気がする。でも、なんとなく見覚えがあるような気もする。

 彼女の眼差しを思い出す。

 50メートルほど先にそれらしき家が見える。

 ドキッとする。

 彼女とは本当に何もなかったのだろうか。

 彼女の声を思い出す。

 あの家だったかもしれない。

 胸を締め付ける感覚が再び僕を襲う。

 本当に友達だけで終わったのだったか。

 彼女の匂いを思い出す。

 何か大事なことを忘れているのではないだろうか。

 家が近付いてくる。

 心臓の鼓動が高まる。

 彼女のぬくもりを思い出す。

 本当に何もなかったのか。

 家の前まで来る。

 彼女の吐息を思い出す。

 表札を確認する。



 違う名前だった。



 困惑したような、ほっとしたような、複雑な気持ちになる。やはり彼女はもうここにはいないのだ。そう考える。彼女の家があったのは、さっきの通りか、この通りのはずだった。しかし家はなかった。

 彼女はもうここにはいない。彼女の家族でさえも。それがわかった。それだけで十分ではないか。

 これで良かったのだ。何かがふっきれた感じがする。もう彼女には会うことはないだろう。

 唐突に涙か溢れてくる。



 目を閉じる。

 20年前の彼女が僕の頭の中に現れる。

 「これで前に進めるね」 彼女が静かに囁く。

 「うん、そうだね」 僕は答える。

 「良かった」 彼女が微笑みかける。「さようなら。元気でね」

 彼女が少しづつ遠ざかっていく。

 消えていく彼女に向かって僕も、さようなら、と言う。

 涙を拭う。この涙は悲しみの涙ではなく、感謝の涙だったということに気付く。

 なんだろうか、今はとても晴れやかな気分だ。

 「さようなら」 僕はもう一度彼女に向かって言う。

 

 ここに来て良かった。これでやっと前に進むことができる。過去ではなく、未来に向かって。

 「さようなら。そして、ありがとう」

 

 いつの間にか雨がやんでいた。雲の切れ間から、ところどころ青空が見え始めている。



 イヤホンから聞こえてくるトランス・ミュージックがブレイクに入り、静かな美しいメロディーを奏で始めていた。



 (了)




Thursday, June 25, 2015

出る杭は打たれ強い




はいはーい、みなさんお元気?

集団的自衛権成立の裏側で暗躍しているかもしれない塩沼 哲ですよ。


さてさて。

『出る杭は打たれ強い』

街中で偶然見つけた言葉です。

見つけた時、おお!って思いました。

なるほど。


出る杭は打たれても簡単には戻らない。

打たれ強い。


だからこそ、出てこれた。


多分そうなんだと思います。


『出る杭は打たれ強い』

前向きな言葉で好きです。




Sunday, May 31, 2015

1ミクロンの希望

あの時、こういう時が来ると想像できただろうか。

生きるのは難しい。

でも、死ぬのはもっと難しい。

僕が今ここにいるのは、きっと、あの時、あの広大な心の闇の中に、1ミクロンの希望の光が灯っていたからだ。

あまりに小さすぎて、あの時は気付かなかったけど。

いや、気付いていたのかもしれない。

よく分からないけど、今考えれば、きっとそうだ。

あのほとんど見えなかった光が、今は目の前いっぱいに広がっているんだね。

生きるのは難しい。

でも、死ぬのはもっと難しい。

だったら生きるしかないじゃん。

1ミクロンの希望を持って。

Sunday, April 19, 2015

ESPRESSO In Holiday Morning


What a happy moment for me to have an Espresso Coffee in a holiday morning!

I feel recently that I became to be able to find small happiness around me. I realized there are so many small happiness in the world, even in a place being very close to me. This drinking Espresso is also one of my small happiness.

A photo above is of a demitasse cup set I bought few days ago. Very cute, isn't it? This demitasse cup set also belongs to my happiness.

I strongly want to say that there is a lot of happiness around us, not only big ones but also many smaller ones. No way? Not at all? If you think so, please try to find some good things for you. Anything is OK, such as you can eat sushi, you can drink alcohol everyday, you can have a bicycle, you can smell good odor of flowers, you can have an umbrella when rainy, you can eat dinner every night, etc. If you can find even just one thing which makes you feel better, and if you can think it is not a commonplace but a special thing as a small happiness, your happiness will be bigger and bigger.

We are living our lives. Why not we wish to have big happiness in our lives? I believe finding or noticing small happiness leads us to bigger happiness.

By the way, I poured lemon tea and Japanese green tea into the demitasse cups. I am not sure but I was able to feel these teas were more tasty than being drunk with standard tea cups. The demitasse cups also looked like they are very happy.



Saturday, April 18, 2015

外国人から見た日本語はどう見えるのか?


時々考える。外国人から見たら日本語はどう見えるのか?

鏡に映った日本語を見た時に思った。あー、こういう風に見えるのではないだろうか、と。

そう、恐らくこういう風に見えるのだ。




わけのわからない記号の羅列

w(゜ o゜ )w

外国人が日本語を読み書きできるようになるのって凄いことなんだって思った。

Friday, April 17, 2015

Watching "VISUAL POETRY" a Poetry Reading / Theater Play

I watched a poetry reading "Visual Poetry" produced, written and directed by Yu Shibuya on April 11th. I had been looking forward to watching it. Because I think Yu Shibuya is one of talented people I have ever met in my life and I like his works very much. His previous theater play, "Three sisters of Kunitomi family", I'm not sure exactly an English title of it, made me moved and cried. That play was really impressed and wonderful. So I had expected the "Visual Poetry" should also be nice. Then, I found when I watched it that my expectation had not betrayed myself. I was surprised such a kind of poetry reading was existing. I had known from twitter or facebook that Yu Shibuya had been saying the Visual Poetry is kinda new style of the poetry reading. Exactly it was not only a poetry reading but also a theater play, namely, they were merged into one fantastic art work. I understood the "Visual Poetry" was as it was, means it was truly the VISUAL poetry. In other words, the world in the poetry were able to be seen visually by actors' acting, not only by reading poetry.

Furthermore, what I thought how amazing was, and I believe everyone thought the same was, a way of usage of music stand. Wow.. How amazing it was. The music stands were used as many items such as table, training machine, scoop, etc. I was really impressed it. There were not any other items except for the music stands on the stage, but actors played as if they were using each items, with reality, changed from the music stands.


The "Visual Poetry" consisted of 8 poems. There were laughing, sadness, excitement, joy, moving, happiness, tragedy, etc. But what I felt by watching all through the poems was kinda gentleness and sensitiveness which I felt covering whole the stories. Thinking of it, Yu Shibuya must be such a person, I believe, with gentleness and good sensitiveness. And it may be the reason I like him and his works.

I was able to watch the wonderful work, which I had never seen before. It was nice experience for me. I really appreciate Yu Shibuya who invited me to watch his latest work, the Visual Poetry.

Thank you. 

Thursday, April 16, 2015

Watching "Hotel Miracle" a theater play


On April 11th, I watched a theater play "Hotel Miracle" held at Theater Miracle in Shinjuku, Tokyo. Why I watched it was one of my classmates was playing in one of stories of the theater which consisted of 5 stories. Each story occurs respectively but in a same hotel which we Japanese say it as Love Hotel that is for couples to make love. Every story was fun and interesting for me. For example, one of the stories had a couple who did not know each other. And another one had a murder in a room. Etc, etc. My classmate, she is taking a same class at tori studio where we are learning the acting, was playing in the last story whose title was "Super Animal", as a high school student who is making love with a man for getting money.

We are learning at tori studio that the acting is to act truly (not to play) in given stories. We need to believe the world in which we are acting. To act with believing makes people impressed and moved. In the theater, I felt she was doing so. I felt she was acting much better than any other actors/actresses there. Am I praising her too much? Hahaha, I am not sure though, but I strongly felt during watching her actions and behaviors in the theater that we are learning proper things at proper place.

Ahh.

I've just realized why I praised her so much. Because I was able to see her in JK style, well.. JK means "Joshi Koukousei" in Japanese which is high school student girls in English. I saw her wearing uniform of JK, and also I was able to see her in Chinese dress. Who can say Chinese dress is not sexy? Well, exactly.. yeah, it was the late show started at 25 pm (1 am). And honestly speaking, I was a little bit exited because of the atmosphere of the midnight. Anyway, I believe she is a good actress. Thanks for being able to see good theater play and..