Sunday, June 28, 2015

【短編小説】 ブリッジ ― 20年前の友達以上恋人未満




 だんだんと空が明るくなってくる。

 この時間に走るのは気持ちが良い。街を歩いている人はほとんどいない。車もほとんど走っていない。

 もう少しで藤塚橋だ。心臓の鼓動が早まる。



 今朝は10キロ走ることに決めた。走る場所や方向は毎回変えることにしている。今日は国道4号線を北上してみよう。片道5キロでどこまで行けるだろうか。そう考えながら走り始めた。

 トランス・ミュージックがイヤホンから聞こえてくる。ビートを刻む力強いパート。静けさと共に美しいメロディーを奏でるブレイク。その繰り返しが陶酔感や恍惚感をいざなう。

 NIKEのジョギング・アプリが定期報告を告げる。3.5キロでここまで来れた。ということは・・・。

 ある考えが浮かぶ。久しぶりに行ってみてもいいのかもしれない。久しぶりというレベルではないのかもしれないけれど。何年ぶりだろうか・・・ おそらく20年ぶりだ。

 心を決める。よし、行ってみよう。藤塚橋の先へ。あの場所へ。



 国道沿いを北に向かって走り続ける。ひんやりとした空気が気持ち良い。

 前方に春日部中央病院が見えてくる。藤塚橋はもうすぐだ。空の明るさが少しずつ増してくる。曇っているため、太陽は見えない。今にも雨が降りだしそうだ。

 病院近くの交差点で国道を右に折れると、すぐに藤塚橋が見えてくる。その橋を渡ってしばらく行ったところに彼女の家がある。いや、正確には、あった。

 もう彼女はそこには住んでいないのだろう。年齢は僕のひとつ下だった。結婚して、どこか別の街で暮らしているに違いない。彼女の両親はどうだろうか。まだそこに住んでいるのかもしれない。何回か顔を合わせたことがある。でも僕のことを覚えてはいないだろう。もしかしたら両親も別の街に引っ越しているのかもしれない。それならそれで構わない。

 20年前に何度も訪れた場所。今はどうなっているのだろうか。何も変わらずに残っているのだろうか。なんとなくそれを確かめたくなった。



 彼女は同じアルバイト先で働いていた。 僕が大学生の時だ。友達だった。とても仲の良い友達だった。でも、実際はどうだったのか・・・。

 彼女が僕のことをどういうふうに考えていたのかはわからない。今覚えているのは、僕と二人きりでいる時、彼女はいつも僕の手を握っていたということ。水滴で曇った窓ガラスの上に、彼女が指で相合い傘を書いていたということ。その中に彼女の名前と僕の名前が書かかれていたということ。その名前を読みながら僕に向かって嬉しそうに微笑んでいたこと。いつも彼女が僕のそばにいたということ。

 とはいえ、僕は勘違いが多いのだ。だから、彼女に関してもそうだったのかもしれない。でも、彼女はきっとそうなんだろうなって、何かそういう確信めいたものがあった。

 僕のほうは彼女のことをどう思っていたのだろうか。彼女のことが気になっていたことは確かだ。好きだったのかもしれない。そうでなかったのかもしれない。よくわからない。優柔不断ではっきりしない、あの頃の自分。嫌な自分。情けない自分。

 優柔不断ではっきりしない・・・ か。今も変わっていないじゃんね。



 6月の早朝。空気が澄んでいて、昼間とは違った匂いがする。草木の匂い。

 交差点で国道を右に折れ、春日部中央病院を左手に見ながら走る。すぐに藤塚橋が見えてくる。



 彼女は自転車でバイト先に来ていた。時々電車で来ることもあった。僕は知り合いから3万円で譲ってもらった自動車、おんぼろのスターレットでバイト先に通っていた。

 彼女が電車で来ている時は、だいたい僕が彼女を家まで送り届けていた。帰り際、車のエンジンがかからずに、二人であたふたしたこともあった。仕方がないので車の中で長いあいだ語り合ったことも何度かあった。

 知らない人が見たら、恋人同士に見えたかもしれない。でも、僕たちが付き合うことはなかった。最後まで友達のままだった。自分の気持ちも、彼女の気持ちも最後までわからずじまいだった。携帯電話の機能が通話と電話帳だけだったあの時代。いや、携帯電話よりもポケベルの方が主流だったあの時代、僕たちが再び連絡を取り合うことはなかった。

 ただ、その後も、僕は彼女のことが心のどこかで気になっていた。藤塚橋の近くを通るたびに、彼女がどこかにいるのではないかと探していた。



 彼女に偶然出会ったのは、それから10年が経った後だった。僕は車を運転していた。信号で止まった時に、彼女が横断歩道の近くに立っているのが見えた。すぐに彼女だと分かった。

 僕は車の中から彼女に声を掛けた。その時に交わした言葉はよく覚えていない。車が走り出す直前だったので、きっと 「久しぶり」 「元気だった?」「またすぐに会えるよね」「じゃあね」みたいな感じだったと思う。藤塚橋は僕の家から車で15分程度のところだし、よく近くを通っていたので、実際にまたすぐ会えるだろうと思っていた。



 結局、彼女に再会することはなかった。あれからまた10年の歳月が流れてしまっていた。

 もう二度と彼女に会うことはないのだろう。今ではそう思っている。それなのに、藤塚橋の近くを通るたびに、いまだに彼女の姿を探してしまう。



 ひんやりとした空気の中。走りながらぼんやりと考える。彼女の家の近くまで行ったら何かが変わるのではないか。彼女はもうここにはいない。藤塚橋の近くに来ると感じる彼女の存在、彼女の面影、その全てが幻影なのだ。そう確信できるのではないか。

 本当はわかっていたのだと思う。いつかはそうしないといけないということを。でも、僕は逃げていた。彼女の存在を心の中から消してしまうのが怖かったのだ。

 行こう。それで、きっと何かが変わる。



 藤塚橋に差し掛かる。20年前に何度も車で通った橋。彼女と一緒に通った橋。先程から霧雨が降ってきている。

 橋を渡り終え、しばらく道なりに走る。イヤホンから聞こえてくるトランス・ミュージックが相変わらず激しいビートを刻んでいる。



 左手にドラッグストアのある交差点が見えてくる。唐突に昔の記憶がよみがえる。この交差点を左に曲がったのではなかったか。確信はない。しかし、シャッターの閉まったこのドラッグストアの景色を20年前に何度も見ていたような気がする。

 この胸が締め付けられる感覚は何だろう。期待や不安ではない。恐怖に近い感覚だ。

 交差点を左に曲がる。そして直感的に、すぐ先の路地を右に曲がる。何となくこの道だと思った。



 しばらく走ると公園が見えてくる。この公園は記憶にある。懐かしさが込み上げてくる。彼女の家があったのは、この通り沿い、もしくはもう一本左側の通りだったように思う。

 辺りはすっかり明るくなっている。雨が少しずつ強くなってきた。人の通りはない。静かな場所だ。走りながら、家の表札を一個一個確認していく。彼女の家があったのはこの辺りだったように思う。

 しばらく走ってみる。それらしき家はないようだ。結局、突き当たりの道まで来てしまった。今走ってきた通りではなかったのかもしれない。でもこの突き当りの道は見覚えがある。確かにこの周辺なのだ。

 ぐるっとUターンをして、もう一本左側の通りに入る。この通りだったろうか。そうかもしれない。そうでないかもしれない。



 しばらく走ってみる。

 彼女の笑顔を思い出す。

 この通りではないような気がする。でも、なんとなく見覚えがあるような気もする。

 彼女の眼差しを思い出す。

 50メートルほど先にそれらしき家が見える。

 ドキッとする。

 彼女とは本当に何もなかったのだろうか。

 彼女の声を思い出す。

 あの家だったかもしれない。

 胸を締め付ける感覚が再び僕を襲う。

 本当に友達だけで終わったのだったか。

 彼女の匂いを思い出す。

 何か大事なことを忘れているのではないだろうか。

 家が近付いてくる。

 心臓の鼓動が高まる。

 彼女のぬくもりを思い出す。

 本当に何もなかったのか。

 家の前まで来る。

 彼女の吐息を思い出す。

 表札を確認する。



 違う名前だった。



 困惑したような、ほっとしたような、複雑な気持ちになる。やはり彼女はもうここにはいないのだ。そう考える。彼女の家があったのは、さっきの通りか、この通りのはずだった。しかし家はなかった。

 彼女はもうここにはいない。彼女の家族でさえも。それがわかった。それだけで十分ではないか。

 これで良かったのだ。何かがふっきれた感じがする。もう彼女には会うことはないだろう。

 唐突に涙か溢れてくる。



 目を閉じる。

 20年前の彼女が僕の頭の中に現れる。

 「これで前に進めるね」 彼女が静かに囁く。

 「うん、そうだね」 僕は答える。

 「良かった」 彼女が微笑みかける。「さようなら。元気でね」

 彼女が少しづつ遠ざかっていく。

 消えていく彼女に向かって僕も、さようなら、と言う。

 涙を拭う。この涙は悲しみの涙ではなく、感謝の涙だったということに気付く。

 なんだろうか、今はとても晴れやかな気分だ。

 「さようなら」 僕はもう一度彼女に向かって言う。

 

 ここに来て良かった。これでやっと前に進むことができる。過去ではなく、未来に向かって。

 「さようなら。そして、ありがとう」

 

 いつの間にか雨がやんでいた。雲の切れ間から、ところどころ青空が見え始めている。



 イヤホンから聞こえてくるトランス・ミュージックがブレイクに入り、静かな美しいメロディーを奏で始めていた。



 (了)




Thursday, June 25, 2015

出る杭は打たれ強い




はいはーい、みなさんお元気?

集団的自衛権成立の裏側で暗躍しているかもしれない塩沼 哲ですよ。


さてさて。

『出る杭は打たれ強い』

街中で偶然見つけた言葉です。

見つけた時、おお!って思いました。

なるほど。


出る杭は打たれても簡単には戻らない。

打たれ強い。


だからこそ、出てこれた。


多分そうなんだと思います。


『出る杭は打たれ強い』

前向きな言葉で好きです。




Sunday, May 31, 2015

1ミクロンの希望

あの時、こういう時が来ると想像できただろうか。

生きるのは難しい。

でも、死ぬのはもっと難しい。

僕が今ここにいるのは、きっと、あの時、あの広大な心の闇の中に、1ミクロンの希望の光が灯っていたからだ。

あまりに小さすぎて、あの時は気付かなかったけど。

いや、気付いていたのかもしれない。

よく分からないけど、今考えれば、きっとそうだ。

あのほとんど見えなかった光が、今は目の前いっぱいに広がっているんだね。

生きるのは難しい。

でも、死ぬのはもっと難しい。

だったら生きるしかないじゃん。

1ミクロンの希望を持って。

Sunday, April 19, 2015

ESPRESSO In Holiday Morning


What a happy moment for me to have an Espresso Coffee in a holiday morning!

I feel recently that I became to be able to find small happiness around me. I realized there are so many small happiness in the world, even in a place being very close to me. This drinking Espresso is also one of my small happiness.

A photo above is of a demitasse cup set I bought few days ago. Very cute, isn't it? This demitasse cup set also belongs to my happiness.

I strongly want to say that there is a lot of happiness around us, not only big ones but also many smaller ones. No way? Not at all? If you think so, please try to find some good things for you. Anything is OK, such as you can eat sushi, you can drink alcohol everyday, you can have a bicycle, you can smell good odor of flowers, you can have an umbrella when rainy, you can eat dinner every night, etc. If you can find even just one thing which makes you feel better, and if you can think it is not a commonplace but a special thing as a small happiness, your happiness will be bigger and bigger.

We are living our lives. Why not we wish to have big happiness in our lives? I believe finding or noticing small happiness leads us to bigger happiness.

By the way, I poured lemon tea and Japanese green tea into the demitasse cups. I am not sure but I was able to feel these teas were more tasty than being drunk with standard tea cups. The demitasse cups also looked like they are very happy.



Saturday, April 18, 2015

外国人から見た日本語はどう見えるのか?


時々考える。外国人から見たら日本語はどう見えるのか?

鏡に映った日本語を見た時に思った。あー、こういう風に見えるのではないだろうか、と。

そう、恐らくこういう風に見えるのだ。




わけのわからない記号の羅列

w(゜ o゜ )w

外国人が日本語を読み書きできるようになるのって凄いことなんだって思った。

Friday, April 17, 2015

Watching "VISUAL POETRY" a Poetry Reading / Theater Play

I watched a poetry reading "Visual Poetry" produced, written and directed by Yu Shibuya on April 11th. I had been looking forward to watching it. Because I think Yu Shibuya is one of talented people I have ever met in my life and I like his works very much. His previous theater play, "Three sisters of Kunitomi family", I'm not sure exactly an English title of it, made me moved and cried. That play was really impressed and wonderful. So I had expected the "Visual Poetry" should also be nice. Then, I found when I watched it that my expectation had not betrayed myself. I was surprised such a kind of poetry reading was existing. I had known from twitter or facebook that Yu Shibuya had been saying the Visual Poetry is kinda new style of the poetry reading. Exactly it was not only a poetry reading but also a theater play, namely, they were merged into one fantastic art work. I understood the "Visual Poetry" was as it was, means it was truly the VISUAL poetry. In other words, the world in the poetry were able to be seen visually by actors' acting, not only by reading poetry.

Furthermore, what I thought how amazing was, and I believe everyone thought the same was, a way of usage of music stand. Wow.. How amazing it was. The music stands were used as many items such as table, training machine, scoop, etc. I was really impressed it. There were not any other items except for the music stands on the stage, but actors played as if they were using each items, with reality, changed from the music stands.


The "Visual Poetry" consisted of 8 poems. There were laughing, sadness, excitement, joy, moving, happiness, tragedy, etc. But what I felt by watching all through the poems was kinda gentleness and sensitiveness which I felt covering whole the stories. Thinking of it, Yu Shibuya must be such a person, I believe, with gentleness and good sensitiveness. And it may be the reason I like him and his works.

I was able to watch the wonderful work, which I had never seen before. It was nice experience for me. I really appreciate Yu Shibuya who invited me to watch his latest work, the Visual Poetry.

Thank you. 

Thursday, April 16, 2015

Watching "Hotel Miracle" a theater play


On April 11th, I watched a theater play "Hotel Miracle" held at Theater Miracle in Shinjuku, Tokyo. Why I watched it was one of my classmates was playing in one of stories of the theater which consisted of 5 stories. Each story occurs respectively but in a same hotel which we Japanese say it as Love Hotel that is for couples to make love. Every story was fun and interesting for me. For example, one of the stories had a couple who did not know each other. And another one had a murder in a room. Etc, etc. My classmate, she is taking a same class at tori studio where we are learning the acting, was playing in the last story whose title was "Super Animal", as a high school student who is making love with a man for getting money.

We are learning at tori studio that the acting is to act truly (not to play) in given stories. We need to believe the world in which we are acting. To act with believing makes people impressed and moved. In the theater, I felt she was doing so. I felt she was acting much better than any other actors/actresses there. Am I praising her too much? Hahaha, I am not sure though, but I strongly felt during watching her actions and behaviors in the theater that we are learning proper things at proper place.

Ahh.

I've just realized why I praised her so much. Because I was able to see her in JK style, well.. JK means "Joshi Koukousei" in Japanese which is high school student girls in English. I saw her wearing uniform of JK, and also I was able to see her in Chinese dress. Who can say Chinese dress is not sexy? Well, exactly.. yeah, it was the late show started at 25 pm (1 am). And honestly speaking, I was a little bit exited because of the atmosphere of the midnight. Anyway, I believe she is a good actress. Thanks for being able to see good theater play and..